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個人主義礼讃のなぜ
最近、たてつづけに外国人と結婚している日本人女性に話を聞いた。
彼女たちが口を揃えて語るのは欧州の個人主義社会のすばらしさ。
私のものは私のもの、あなたのものはあなたのもの。
だから意見が合わなくても当たりまえ。
そんなマチュアな社会が私にはあってるの。
彼女たちは日本という過去を吹っ切るかのように清々しくそう言い切る。
ある女性が我が子をつれて日本にやってきたときのエピソードがふるっていた。
息子と一緒に久々に日本の電車に乗り込む。
と、隣で息子と同年代の少年が泣きわめいている。
社会迷惑だ。日本人は本当に躾がなってない。彼女は不快感を覚える。
ふと目をあげると、その号泣少年の母親が、彼女をぎっと睨んでいる。
なぜ、こちらを睨む? 数分後、どうやらその少年は、
我が子の持つお菓子を分けて欲しいがゆえにぐずっていることが判明する。
「もちろんでも、そんなのあげないですよ。シェアする必要なんて全然ないですから。
ヨーロッパの子はそんなことで泣かない。そんなの社会人失格ですよ。
そんなことには絶対にならない。それが躾でしょ」
彼女は鼻息を荒くして一息でこう言い切った。
あまりに歯切れのいい啖呵に背筋に震えを覚えた。
と同時に、確かに正論を言っているのだけど、漠然とした怖さも覚えた。
どこか彼女が無条件に個人主義を礼讃しすぎているように思えたからだ。
私も基本的に個が自律して生きる社会には賛成だ。
でもそれと同時に、他者に歩み寄る、他者を慮る、日本的な思慮深さにも愛着を持つ。
確かに電車のなかで泣きわめくがきんちょにお菓子を分ける必要はまったくない。
でも、その場の空気にまったく無関心に鈍感にいられるメンタリティというのは、
それはそれでどうなのか。何か日本人の持つ繊細な心情的機微を失っている気がする。
駅で行儀良く整列して待つ、狭い道路ですれ違うときは肩を斜めにする、
自分ひとりが席に座れたときは友達の鞄を膝にのせてあげる。
確かにこういう配慮が自然とできる日本人は少なくなっている。
それでも概してヨーロッパの人たちよりは他者を思いやる心が残っていると思う。
おそらくあちらは自然とこういった配慮ができない人が多いから、
ある種の紳士教育として、女性をもてなすマナーを学習したりするのだろう。
他者への配慮ができるか否か。
自然にできる人(10%)>自然にできないから学習する人(60%)>学習しない人(30%)
このパーセンテージはなんの統計学的根拠もない、私の直感だ。
ただ日本とヨーロッパでは、一番目と二番目の割合が少し変動する気がする。
いずれにしろ欧州と日本のどちらがいい悪いではなく、
双方のいいところを取り入れてみたらどうなのか。
個人主義礼讃の彼女にそう伝えてみたら、
「私はあなたの意見には賛成できないわね」
と、ばっさり言い捨てられた。
そこで対話は、哀しく終わった。
(November 10, 2008)
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