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ピュターン!
パリにきて一日目。ああ、そうだフランスはこういう国だった、と改めて認識させられる"事件"に出くわした。とあるダンス劇場、夜8時。招待窓口でチケットを受け取り、いそいそと客席に足を運ぶ。と、なぜか私と同じ席番のチケットをもつマダムが既に着座していた。
「あら、まったく同じ席番ね」「なぜかしら」「変ね」
会話終了。おそらく日本なら相手を慮って「劇場係の人を呼んで、調べてもらったほうがいいですよね」「そうですね」という流れになることだろう。だがそんな他人まかせなことはフランスではおこらない。すべては個人の問題なので、その場での、個々の言い分の強さが状況に判決をくだすことになるのだ。そこで普段は弱気な私も、そうだここは東京じゃないんだぞ、と心を強く持ち「じゃあ、こっちの席に座ります。たぶん、大丈夫ですよね」と冷静を装い隣席に座った。マダムも「そうね、それがいいわね」とこちらの了見に納得する。
だが数分後、事態はさらに変な方向に。私が座りこんだ席の、さらに隣の空席のチケットを持つ20代女子がやってきて、私を目撃するや一息に次のようにまくしたててきた。
「なぜ、あなたはここに座っているの」
「ここの二席には私がボーイフレンドと一緒に座る予定なの」「どいてよ」
ーーーええ確かに、私はあなたが言うように正当な席には座ってございません。けれどいきなり私を目にしたとたん「どいてよ」とまで言いきれる、その迷いのないぶしつけさは、人間としていかがなものか。飢えをしのぐためなら他者の人肉まで貪りかねない、この横暴&傲慢な利己主義さには、あまりのことに唖然とさせられてしまった。
ただどうやら彼女の傍若無人さに唖然としたのはナイーヴなアジア人の私だけではなかったらしく、予想外なことに、さきほどのマダムが弁護を買って出てくれた。「あなたちょっと落ち着きなさい、彼氏とは1時間後に会えるからいいでしょう、この女性はここに座る権利があるのよ」。私もとりあえず、なるべく冷静に、ダブルブッキングされた席番事情の説明をこころみる。だが当然ながらその女の子は私の正当理論に1ミリも耳を傾けることなく「彼氏と座るの、彼氏と座るの、信じられない、ピュターン(フランス語のスラング)!」と劇場中に響くかのごとき大声で咆哮する。しかも当の彼氏は、そんな半ば狂乱状態にある彼女を放ったらかしにして、そそくさと空いている補助席に座ってこちらを振り返りもしない。ああ、もう。なんて身勝手なの、みなさん。
そんなやりとりが数分つづくなか、客電は無情にもずんと消えた。肉食獣のようにわめいていた彼女も闇のなかでとうとう堪忍する。草食動物系のメンタリティを持つ私は、なんとなく居心地の悪い思いを抱えたまま、光を放つステージに目を向ける。
誰もが自分の意見を持つ。それは確かに大切なことだ。周囲に「うんうん」と頷いてばかりで、多くのことを日和見主義にすましてしまう日本の風土に疑問を持つこともある。けれどは個人主義もいきすぎると、転じて、こうした醜い利己主義に陥る。いやこれはマチュアな自己主張でもなんでもなく、おもちゃが欲しいと泣いてぐずる子供のワガママと同じだ。
日々の生活のなかでたいがいの人は、肉しか食わん、野菜しか食わん、とは言い張らずに栄養バランスのとれた健康な食事をたしなむ。これと同じことで肉食獣的な個人主義も、草食動物的な集団主義も、いきすぎると機能不全をきたした宗教に近づいていく。そんなことを、零下の寒さが肌を射るパリの夜にふと考えてしまった。心が震えるぜ。ピュターン。
(November 30, 2008)
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