年の瀬の家族

年の瀬。普段は個人単位で生活が成りたつ大都市東京でも、この時期ばかりは外を歩くと、家族・夫婦・カップル単位で行動する人々が視野に飛びこむ。そして私はそうした人たちを目にするたびに、心の奥底から、いったいどうやって……という疑問におそわれる。

「いったいどうやってこの人たちは、一緒にいつづけているのだろう」
「いったいどうやって自分自身でいながら他者と生活を共にしているのだろう」
「いったいどうやって互いの愛を保ちつづけているのだろう」

そんな野暮な疑問とともに、のんびり街を闊歩する彼らの深層心理が知りたくなる。そんなおり、ある記事のためにネット調査をつづけていたら、おもしろいデータにたどりついた。内閣府が毎年実施する「国民生活選好度調査」。この調査が近年<個人の自由>について集計をとったところーー「秩序を保つためには個人の自由を多少制限するのをやむをえない」と回答した人が87.9%、そして「家族のために自分が犠牲になってもやむをえない」と答えた人が71.2%いた。

この回答から何が読みとれるか。
まず、個よりも和を尊ぶ日本人の美意識が端的にあらわれていること。また個人単位主義よりも家族単位主義がまだおおかたの人のなかでは根強いということ。そしてこうした調和意識は、一長一短あるにしろ、まちがいなく日本の安全性とインフラを促しているということ。あえて論を飛躍させるなら、ひとりひとりの人間が少しずつ「犠牲」を払うことで、家族の和と国家の和が保たれているというわけだ。

もちろん「和」が保たれるのは素晴らしい。けれどそれと同時に「犠牲」というあまりにも強烈な単語を耳にしてしまうと、その心理の奥の隠約の波乱を、懐疑的に読み取りたくなってしまう。実は世間的な道徳規範で本心をこぎれいにラッピングしているだけじゃないのか。実は犠牲が義務だと思ってしぶしぶ行っている人が多いんじゃないのか。いったいどれだけの人が納得づくで気持ちよく犠牲を払っているのだろうか。

「本当はこうして欲しいけど、しょうがない」
「実際はこうしたいけど、あきらめよう」
そしてもし仮に、その三拍後に「自分は犠牲を払ってるんだから、感謝して欲しい」
というわけのわからぬ傲慢さが顔を覗かせるのだとしたら、
この犠牲はあまり幸福な感情回路を導いていない。

理想論かもしれないけれど、私は、本当に愛する人のためなら何をしても「犠牲」とは思わないでいられると思う。どんなに傍目には自己犠牲的に見える行為であっても、時間や資本を無意味に浪費しているように見えても、本人は笑顔で能動的にその行動にまっすぐに向かうことができるはず。というかもし家族やパートナーを真摯に愛していながら、その人のために自分が「犠牲になるのもやむをえない」と思ったとしたら、そんな哀しいことはない。だからもしどうしてもこの文脈で「犠牲」という言葉を用いりたいのなら、人は納得づくで積極的に「ハッピーな犠牲者」になるべきだと思う。と、また勝手に口調が熱くなってしまったけれど。そんなことを大晦日にひとり思う。来年もこの身勝手ブログを、よろしくお願いします。

(December 31, 2008)



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