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官能的なローマの蓮
世界に紗幕がかかったような煙雨。ローマのチャンピーノ空港で、天候不良のため数時間、空港ロビーで待たされたことがある。運悪くパソコンのバッテリーが切れる。降りそそぐ多言語が気になって、集中して本を読む気もおきない。そこでしばらくぼんやりと、まわりの人間観察をすることに。
肉厚な手で携帯電話をつかみ、今にもカンタータを歌いはじめそうな大声で仕事相手に遅延事情を説明するでぶっちょのビジネスマン。チョコラータをゆったり口に含みながら「いつ飛ぶのかねぇ」となんだか暢気に談笑する老夫婦。ニコチンが切れそうなのよ、煙草を吸わせてよ、どうなってるのよと紅色に染めた髪を振り乱しながら係員にキツツキのように文句をいう熟年女性。外国での人間観察は、見慣れないぶんおもしろい。飽きることなく、次、次、次、と人々に目を走らせていく。ふと、自分の右前方10メートルほど先に、今まさにフェリーニの映画から飛び出てきたような「官能的」としか形容しようのない男女を目撃する。年齢はおそらく共に四十手前。特別な美男美女というわけではない。が、なんだか向こうから闇夜の香気が漂ってきそうな、不思議なヴェールが彼らを覆っている。身体の曲線美がよく映える漆黒のスーツに身を包んだ女性。意志のある細い指で、書物のページを淡々とめくっている。なにか一文が気になったのか、めくるリズムがあるとき止まる。紅で整えられた口角をあげて、男性の耳もとにささやきかける。一瞬、本を覗きこむ男性。そして、声を発することなく目だけで女性に愛をかえす。
こんなに官能的な男女に出逢うことはめったにない。特に女性は、露出が高くダイレクトに色っぽいお姉さんはよく目にするけれど。官能的、というセンシュアルな形容詞が適切な女性にはあまり出くわさない。
ちなみに女性が性交のさなかに火照った身体から放つ自然臭のことをフランス語で「オドゥール・ヴォルプタチス」と言う。そして、これはどれほど過激にセクシーな服装で異性を誘惑するよりも、いやがうえにも、男性の官能を燃えたたせるという。空港で目撃したセンシュアルな女性が、どんなパルファンをつけていたかは、至近距離まで近づかなかったので分からないけれど。私の想像のなかではこの女性がうっすらと、オドゥール・ヴォルプタチスの残り香を、知的な装いの下に漂わせているように思えた。
そういえばインドのカーマ・スートラでは……最初に考えついたやつは女性にこっぴどく怒られただろうが、愛液の匂いで、女性美を四段階にわけたと聞いたことがある。最高の女は、蓮の香りーー。
まあ蓮の香りがするかは別として、確かに官能的な女性たちは、顔かたち以上に、なにか不思議な美しさを匂いとしてまとっている気がする。それは別にその人の香りを嗅ぐと即セックスを連想する、という直接的なものではない。確かにそれは性の匂いではあるのだけれど、どちらかというとより婉曲表現。料理にしのばせたひとつまみのクミンのように、知らずのうちに人をその味で虜にする。と、そんなむだに色っぽいことを、ローマの空港でひとり妄想する。待つこと数時間、空を覆っていたオドゥールのような濃霧は晴れて、機体は空に飛びたった。
(January 25, 2009)
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