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車内アナウンスと自由意志
いつごろから電車内はこうも喧しくなったのだろう。子供のころはガタンゴトンと体に響く線路音が遊び疲れの眠気をいざなうほど、もっとずっと静かな空間だった。小田急線の各駅停車など暖かな昼下がりに乗ろうものなら、そのまま泉鏡花の午睡世界に連れて行かれてしまいそうな、夢ともうつつともとれぬ至福のまどろみを味わえた。なのに今はどうだろう。あきらかに都内の人口が大量増加しすぎていることを差っ引いても、あの電車内での増長な「お願いアナウンス」は、あまりに無粋で煩わしすぎる。携帯電話はお切りください、ヘッドホンの音量は低めにしてください、かばんは前に抱えてください。あなたのアナウンスがいちばん耳障りだよ車掌さん、とは言わないまでも、そう心のなかで小さくボヤきたくなるほど、いろいろなマナー情報をご丁寧に訓示してくる。
最近、これらのマナー警報で愕然としたのが、成田空港行きのリムジンバス。携帯電話の使用を控えてほしい、というアナウンスが英語で入るのだが。直訳するとこれがとても奇妙。
「お客様にお願いがあります。
車内での携帯電話のご利用はお控えください。
なぜなら、それは近所の人を不快にします」
うん、確かにそのとおりなんだけれど。ねぇ、最後の一文は必要?
たいがいのマナー警報は、お願い、の時点でとどまる。そのお願いを客が聞き入れなかったときの、被害、に関しての詳細は伝えられない。要は聞く人間はいい大人なのだから、それぐらい自分の頭で判断しろよという話だ。けれど上記のアナウンスは、あきらかに最後の一文で、お願いの段階を飛びこえて、被害の説明にまでぐぐいと踏みこんでいる。
こうなるともう、手取り足取りの幼稚園児への指導と変わらない。
オランダでは、麻薬も売春も安楽死もすべて「自由意志」で選択される。
法律でがんじがらめにして「絶対にダメ」と規制するのではなく、とりあえず選択肢はオープンにしておいて、あとは大人であるあなたたちの自己判断でどうぞ、と。個々人に尺度を委ねきる。そんな放任主義なことでは麻薬中毒患者が爆発的に増えるだろ、と思われるかもしれないが。じつは法律で頑として麻薬の使用を禁じるフランスなどより、オランダのほうが患者数は少ない。こんな自立心の発達した国で、先の携帯電話のアナウンスを流したら「分かってるよ、子供じゃないんだから」と一笑に付されてしまいそうだ。
このまま行くと日本人は、いま以上に、ルールがないと動けない国民になる。そして盲目的にルールに従うことは、自分の欲求を抑制することとなり、生きることへのパワーを低くする。ヴォルテールは「真の欲求のないところに、真の喜びはない」と言っていた。車内のアナウンス程度のことで何もヴォルテールまで引き合いにださなくてもさ、と思われるかもしれないが。なにごとも、小さく些細なことほど大切なのだ。大胆に自己規制されれば、刃向かいようもある。けれど白蟻被害のように些細なところから、徐々に自己を虚勢されていくと、気づいたときには中身はがらんどうかもしれない。
(February 13, 2009)
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