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フランスのメトロノーム生活
東京に比べると人口が1000分の1しかない、フランスの田舎町から昨日帰国。このブルターニュ地方の町は人口の半分が町内随一の病院に勤めていて、あとの半分は病人ーー、というげんなりなジョークもあながち嘘とは思えないほど精気の失せた灰色の場所で、ほんの二日も滞在していれば町のすべてが見尽くせてしまう。まっとうなカフェが町に一個、まっとうなホテルも町に一個。ほとんどのショップには常時「Fermer(閉店)」の看板がかかり、若者の姿もほとんど見えない。あきらかに過疎化が進んでいることがわかる。こういう場所を目の当たりにすると、まだ東京の経済不況の風など甘っちょろいなと思ってしまう。たまには休日においしいものを食べる、たまには好きなブランドの服を買う。そうした贅沢産業がまだ多くの都市部の日本人には行きとどいている。けれど、このフランスの小町ではラグジュアリー産業と名付くものがほぼない。ただ暮らし、ただ働き、ただ生きる。そんなメトロノームのように単調な生活が町のリズムを決めている。同じカフェに行けば、同じ時刻に、同じ客が座っている。同じ服を同じように、気づけば三日ほど着つづけて暮らしている。少し不潔な男性などは二週間は風呂に入ってないのでは、という酸味がかった異臭を漂わせている。まあフランス人は元来風呂嫌いで、あのルイ十四世ですら入浴は年に一度、という記述もあるぐらいだから。これは節約というより文化に近いことなのかもしれないけれど。とにかく人々があまりに素朴にすっぴんに生きていて、自分がいかに恵まれた贅沢を謳歌しながらも「もっともっと」とスポイルドな日々を過ごしているかに気づかされる。東京の人々は「先が見えないから不安だ」と嘆く。確かにいま東京で先行きを考えると、希望がみえず闇にのまれてしまいそうになる。けれど、もしかすると東京の人々は見えない先を見ようとしすぎて、不安の歯車に拍車を掛けてしまっているのかもしれない。未来なんて先なんてさっぱり見えずとも、ボンジュールとボンソワを穏やかに繰り返し、ただ生きる人々が世界にはいるのだ。
十数時間の長旅後、東京の新宿に降り立つ。あたりを見渡すと、一生かけても見切れないほどの店が軒を並べている。電車に乗れば、音楽を聴く人、ゲームで遊ぶ人、携帯電話を弄ぶ人、と誰もがなにかしかの玩具を手にしている。余剰物の洪水、贅沢の嵐。頭がなんだかくらくらする。

(February 28, 2009)
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