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誇張表現と不器用さ
文章を書く仕事をしていて、自分の文章には誇張表現が多いことに気づいた。華美な形容詞をめったやたらに使ったり、浮誇な表現でなんてことないものを凄くみせたり、とてもフェイクな匂いがする。そしてこの誇張表現が、最近は、ふだんの日常会話にも飛び火しはじめている。自分を実際より凄くみせるために、あるいは自分の価値に下駄を履かせるために、本来ならもっと控えめな表現をすべきときに威勢良くなんらかの意見を言い切っている。そんな自分に出会うたびに、ああまたやってしまった、と胸がむかむかして眠れないほど自分の汚い一面をなじりたくなる。この高下駄表現をなくしていかないと、自己査定が他者査定よりも明らかに高く、自分自慢をしつづける醜い中年になってしまう。だから、なるべく厳格に、なるべくシンプルに、なるべくすっぴんに。ブルーノ・タウトが「単純さのなかにこそ豊富がある」と言ったように、自分を飾り立てるのではなく、単純に単純に単純にいきたい。
もうひとつ、最近気づいた、というか再認識したことは自分が平均値以上に不器用な人間だということ。パソコンでホームページを作成するにも、物覚えの悪い幼稚園児のように「あいうえお」の基本がなかなか頭に入らない。あるいはこのごろ始めた自作香水づくりにしても、人が一度のミスで「おっ、これは失敗だな」と思うところを三度実験ミスしないと気づかない。今日もネロリとフランキンセスとミルラを混ぜている段階で、なんだか同じミスを犯していることに漠然と気づいたのだが、それがなんなのか不愉快にも思い出せない。結果、0.5ミリずつしか成長していかない。でもある側面のことに関して、まわりよりも極端に不器用なのは、考えてみたら子供のころからずっとだった気がする。ちくしょう、スマートな女になりたいのに…。それは無理な願いなんだろうか。
(March 4, 2009)
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