エローレとエラーレ

触覚が地から間欠泉のように沸きだし、振動が黒雨のように宙から降りそそぐ。人間の五感を美しく暴力的に攪乱する、イタリアの鬼才演出家ロメオ・カステルッチのイメージの洪水に西巣鴨創造舎で溺れた翌日。九段下のイタリア文化会館でおこなわれた、彼のプレスカンファレンスに向かう。昨年のアヴィニヨン・フェスティバルで絶賛された、ダンテの『神曲』三部作を、この秋日本で上演するにあたっての顔見せだという。プレスカンファレンスという、いかにも仕事然とした公の場所に出向くことはいまだ苦手。「授業中は一歩も立ち歩いてはいけません!」と教室の椅子に磔にされていた学生時代を思い出す。なんとかイリーの強烈濃厚なイタリアンエスプレッソを、ちびりちびりと口にしながら、ぼんやり惚けぬようがんばろうと決意をする。だが今日は、そんな子供じみた決意は嬉しくも不要に。一寸の弛みもなく仕立てられた濃紺のトラッドジャケット同様、誠実まじめな受け答えをつづけたカステルッチ氏が、とても考えさせられる発言を放ったからだ。

私が聞き逃してしまったある記者の質問に対して。
彼は知的に選び抜かれた硬質なイタリア語で、こう答えた。
「エローレとエラーレ」
イタリア語は皆目わからない私。けれど、その韻を踏む遊戯的な響きの美しさが耳の奥底に落ちてくる。よく聞けば、この二つの言葉を唱えながら、彼はダンテの天上的な叙事詩を舞台化する、という雄大なプロジェクトに立ち向かっていったのだという。エローレとはエラー、つまり過ちのこと。そしてエラーレとは、彷徨い、放浪すること。

「エローレ(過ち)を犯すことを考慮に入れることで、私ははじめて自由になれた。もし私が過ちを犯すことを怖れ、正しい道を歩もうと思いつづけたら、それはダンテの墓碑を創ることになっただろう。けれどエローレを犯すことをいとわぬことで、私は自由の身となり、自分なりの道をエラーレ(放浪)できるようになった。私は、そのようにして創作に立ち向かっていったのです」

アーティストである彼は、ここで創作に特化して話を進めている。けれどエローレとエラーレを日々繰りかえし、ムダな自己保持や自己顕示のない自由な心で生きるべきは、どんな職業の人間でも同じこと。ひとつのエローレに悪魔的に固執して、二度と生涯道を踏み外すまい、鋪装された安全道路を歩いていくのだ、と岩のように心を固めた日にはーー、そののち自分の無知を自覚させられることはなくなり、結果として、世界の美しく洪大な眺めを放棄することになるだろう。

芸術を創造するにしろ、人生を創造するにしろ、恥をかきたくない馬鹿にされたくない、と大人顔でトライ・アンド・エラーを怖れ始めると、世界は貧相に縮こまっていく。そんなときは大声で童歌のように「エローレ、エラーレ」と叫んでみよう。

(March 14, 2009)



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