ナザニーヌの集中力

ナザニーヌ。どこか夜の香りのする美しい名のイラン人女性にパリで出逢った。早くにイスラム文化圏を抜け出し、西欧社会で自律した人生を謳歌してきたという彼女。だからか、その黒薔薇のようにエキゾチックな名前とはうらはらに、風貌やファッションは、どちらかというとジェニファー・ロペスのような西海岸系。まだ25歳。おそらく会話も、オシャレやパーティーやボーイフレンドのことを取りとめもなく話したがるのだろう。そんな軽い気持ちで彼女と会話をしはじめたら、10分後には、その浅はかな予想を完全に裏切られていた。

19歳で大学を卒業し、22歳で心理セラピストの開業医となり、24歳でアッパス・キアロスタミと懇意の脚本家となり、いまは仏料理の名門学校ル・コルドン・ブルーでシェフになるため勉強に励む身だという彼女。25歳にして多くの人が40歳になっても成し遂げられないことを、猪突猛進、成し遂げてきている。経験値だけでいうなら、あきらかに、私よりも数段上。人生密度がそんじょそこらの二十代とは異なるのだ。

そんな彼女と、昨日は30分、今日は1時間、と少しずつ会話を重ねていく。と、彼女がなぜこれほど多くの職業で成功をおさめてきたかが、おのずと理解されてくる。ひとことで言うなら「集中力」の差。もう少し的確に言うなら「集中力の入れどころ」の差。たとえば会話作法ひとつとっても、ナザニーヌは無手勝流。さきほどまで熱心にこちらに耳を傾けていたかと思えば、5分後には窓外で巣作りする鳩を見てひとり物思いにふけっている。まるで瞬間瞬間、自分の好奇心のおもむくままに行動する五歳児のようなのだ。

だがそんな彼女だからこそ、ひとたび好奇心のアンテナがびくんと反応すると、他人の視線や周囲の景色が吹っ飛び、とにかく自分自身の欲望のタンクが満たされるまで集中しつづける。たとえば、ある映画話をしていたとき。なにか彼女のレーダーに引っかかる話題であったのか、極上の餌を見つけた魚のように話題に食いついてきた彼女は、こちらが「もういいだろ」と音をあげたくなるほど執拗に、そのテーマについて話しつづけた。おそらく1時間は同じテーマについて話していたように思う。

でもこのしつこさこそが、彼女の成功の秘訣。こちらがくたびれてしまうほど、ひとつの議題を思考しつづけることにより、倫理感や道徳心といったジェネラルな価値観とはまったく異なるオリジナルな哲学を自力で発見していく。そしてその自分哲学を信じて、まっすぐに行動に移っていくため、誰よりも早く自分の得意分野で成長をとげていくのだ。まあ、あまりにも周囲を顧みない彼女の行動は人に憎まれることもあるだろうし、得意分野が多ければ欠落部分も多い凸凹人生だとも思う。だが私としてはその度を超して無我夢中な生きかたに、気持ちよさを覚えてしまう。

ニュースで読んだ話によると、現代人の多くは、メールや携帯電話やSNSなどの雑音に数分ごとに気を削がれるあまり、集中力が著しく欠如してきているのだとか。そして集中力の欠如は、人生に対する、その場しのぎな不毛感を生む。これはデジタルライフを享受する世界、特に東京のように忙しなく生きることを余儀なくされる世界においては、豚インフルエンザ以上に留意すべき、恐ろしい風土病なように思う。30分、全身全霊でひとつのことに集中してみる。いざ実際にやってみると、一貫性のある思考を保つことがどれだけ大変か気づくはず。使わないと即座に衰える集中力。ナザニーヌに学んで、日々これを鍛えていこう。

(May 1, 2009)



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