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ベルヴィーユと寿町
パリ11区、ベルヴィーユ。そこには女性誌などがイメージ戦略的に紹介する麗しのパリとはまったく異次元の、曰わく言いがたい黄土色の濃厚世界が広がる。マグレブ系、アフリカ系、アジア系と種々雑多な肌色の移民たちが路上には溢れかえり、まっぴるまから何もすることがないのか、玄関先やら路上ガードやらベンチやらに、いかにも冴えない男たちが腰掛け何人かでつるんでダベっている。なんだか見覚えのある情景だなぁと記憶の糸をたどると、そうだ、これはまるで家に帰ることから逃避している放課後の中坊そっくりだ。ただ唯一異なるのは、彼らは中坊ではなくいい歳こいた中年だということ。男はいくつになってもなんだかなぁ……と、この街を歩くたびに考えさせられてしまう。と同時に、いくらなんでも日本にはこれほど仕事のない男たちが群れる場所はないよな。日本にはサン・パピエ(労働許可証を持っていない移民の呼称)がここまで大勢いないからなぁ、と考えていた。つい、昨日までは。
そう、私の自国に対しての認識はあまりにも浅かった。昨日、今日と、ある取材で訪れた横浜の寿町。ここは東京の山谷、大阪の釜ヶ崎とならび「日本三大ドヤ街」と言われる場所で、かつては日雇い労働者の町として活気に溢れていた地域。だがいまでは、その半数が60歳以上の高齢者で、8割が生活保護受給者。ほとんどが独身男性で、薄暗いドヤの三畳間にひとりで暮らしている。結果として彼らは、路上をリビングルーム化していく。つまり道ばたに座りこみ、人によっては寝っ転がり、仲間たち数人と昼日中から酒をあおる。400メートルトラック2個分ほどしかない小さな区画に、6500人もの男たちが文字通り肩を並べて暮らし、年間500人もの人間(単純計算でも1日ひとり以上)が部屋で孤独死していくのだ。案内人をつとめてくれたある男性はこの町にきて「死体の匂いが識別できるようになった」とつぶやく。救急車もあまりに日常茶飯事なことのため、この町にだけはサイレンの音を消して進入してくる。取材時にも、ふと気づけば背後数メートルに救急車が。音もなくひたひたと進入してくる救急車とは、なんと冷たく恐ろしいものかと肌が震えた。
だが予想外に町のおっちゃんたちは、表面的には穏やかで機嫌がいい。余所者な私にも「おっ、なんだ寿町見学会か」「おねえちゃん、どこかの役所の人?」と話しかけてくる。おじさんたちが普通に暮らすドヤも覗かせてもらったが、思ったよりも廊下や共同キッチンは清潔に保たれていて、挨拶をしてくるような丁寧な方もいる。ただ日が暮れて夜ともなると話は別で、そこらで嬌声を発する人、小競りあいを始める人、また袖口から立派な彫り物をのぞかせて歩くお兄さんの姿もちらほら。「夜はひとりで歩かないほうがいいですね」。そう案内人の男性に告げると、まだ月初めだから今はいいほうですよ。飲み代が底をつきたころ、月も半ばを過ぎたころに来ると、呑み屋からあぶれたおっさんたちが路上にうようよしていますから、という返答。孤独をまぎらわすために、多くの人は酒に逃げるのだ。だがそんな中でも、愛らしいミニチュアプードルなどのペットと暮らし気持ちを保つおじさんもいるし。また外部からボランティアでやってくる英会話教師のレッスンに参加する前向きな人たちもいる。ここ数年、寿町のドヤ街が、外国人バックパッカーの常宿として機能しはじめていることもあり英語を習う人々が増えているようだ。
さて、最後にこの寿町の物価についてお伝えしたい。ほとんどの人が月13万ほどの生活保護で暮らしているだけであって、この町の価格破壊はとんでもない。たとえば韓国系の人間が経営するちいちゃな食料品店を覗けば、一食分の食費がだいたい300円ほど。五分刈りならぬ「五厘刈り」を売りものにする床屋の価格は1200円。そして極めつけは自販機の缶コーヒー50円也。この町に来てPASMOの電子マネーで、缶コーヒーを買おうとした私がバカだった。パリとはまた別の理由で、職に困る人々が日本にも大勢いる。まだ私の知らない未知の世界が、国内にもいっぱいある。横浜市の行政は「臭いものには蓋」の感覚で寿町のことにはほとんどノータッチだそうだが、そんなときこそ、私のようななんの身分もない素浪人ブン屋がきちんと現状を伝えるべきだと思った。
(September 4,2009)
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