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活字を書きながら年越し
時間というのは不思議なものだ。勝手きままに、長くなったり短くなったり。やっつけ仕事に追われているまに「ああ、もう一週間っ!」なんて週末にふと思ったときには、働き雀な生き方が身体に三十年ぶん染みついてしまったのかと、ちょっぴり情けない気分になる。そこで今年になって、いつ頃だったか、もうせこせこ生きるのはやめようと決断した。自分の時間感覚で生きよう。そもそもフリーランスっていう肩書きなんだし。そう思ってから、意図的に、時間の手綱をなるべく自分で握るようにした。のんびりしたいときは存分にのんびり、あくせくしなきゃならないときは割りきって働く。そうやって、今っと思ったらすぐに過去になり、ずんずんむげに流れ去っていく無制限な時間というものに区切りをつけて生きるようにした。もっと簡単な言葉でいうなら、時間を一色で埋めつくさないようにした。
そうした信念を時間にたいしてもったら、より「生産的に」生きられるようになった。家事を営む時間があり、愛をつむぐ時間があり、仕事に打ちこむ時間があり、学業にふける時間がある。いろいろな色があって、しかもそのすべての色づけに対して、なるべく、能動的。この能動性というヤツがじつは思いのほかくせもので、とくに東京にいると、新しいものがバンバン街中に乱立するため、それにリアクトしているだけで、結構、日々を飽きずに送れてしまったりする。でもそうしていると、わたしは、人に与えられたテンポの時間にあっちからこっちから攻めたてられている気持ちになって、だんだん息苦しくなっていく。
そういえば先日、コム・デ・ギャルソンのデザイナーの川久保玲さんが「価格が三桁のジーンズなんてありえない」と発言をして、ネット上で物議をかもしていた。「安さ、早さ、だけを求める商品を作るとその工程で誰かが泣いているかもしれない。いいものには、人の手間と努力がかかる。だからいいものは高いし欲しくなる」というのが彼女の意見の大筋。おそらくこれはユニクロ・デフレなどといわれている一連のあこぎな不景気商売に対して批判の矢をつがえているのだろう。そしてこれに対して勃発した反論の多くは、おもに最後の一節に対して。「安くて良い物を作るという価値観はないのか」というユニクロ商売肯定的なものだった。もちろん、不景気になやまされる消費者の立場からすればこの反論は一理も二理もある。けれど、川久保さんが言いたかったことは、消費や景気や価格のことだけではなく、生き方の本質にたずさわることではないかーー。
いいものには、人の手間と努力がかかる。この川久保さんの言葉を我流に拡大解釈して語るなら、いい仕事をしようと思えば、いい政策を導こうと思えば、いい人間関係を築こうと思えば、やっぱりすべて手間と努力がかかる。その必要な時間を惜しんで、結果、売上げ、成果、成功、ばかりをババッと求めやっきになって生きていては、人間、長い目でみたらだんだん息苦しくなる。作ったら捨てる作ったら捨てるの文化では、いうなれば砂上に、時間の楼閣を建てようとしてるようなもの。いつ強風で吹っ飛んでしまうかわからないその生き方に、不安を覚えない人間はいない。願わくば誰もが、嵐が来てもビクつかない太い根のある日々を送りたい。そしてそのためには、自分はなにに時を費やし、時を積み上げて生きるか、能動的に考えていく必要がある。
とにかくここで言いたいことは、来年もひきつづき、というかふんばってよりいっそう、時間を「生産的に」紡いでいきたいということ。ユニクロ的な生産性ではなく、ギャルソン的な生産性で。それは辛抱と規律としつこさが必要な地道な作業で、無鉄砲に突進しすぎッと人に突っこまれるわたしにとってはなかなか苦手な創造作業だけれど、来年こそもうちょっと安定してこつこつと根を伸ばしていきたい。もうすぐ新年です。新しい年がみなさんにとって、喜びと愉しみとすこしの哀しみと、人間らしい感情に満ち満ちたすばらしい一年でありますように。
(December 31, 2009)
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